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写風人 冬の田舎村 ある一日(2010年妄想)


風になりたい。風のように自由気ままに飛び廻ってみたい。
そして目に映るものすべて写真を撮り続けていたい。・・・写風人の由来である。
しかし現実はそうではない。自給自足の気ままな田舎暮らしを楽しんでいる訳でもない。日々仕事に追われ「自由気ままに」とか「飛びまわる」とかは無縁の毎日。そんな私にも愛すべき相棒がいる。薪ストーブとダッチオーヴンだ。
彼らと付き合うのはほんの僅かな余暇・・・のつもりだった。付き合えば付き合うほどのめり込む度合いは尋常ではない。

いつの日か彼らと共にこんな生活をしたいと妄想するようになった。

・・・・・朝は小鳥のさえずりで目覚める。凍てついた木製の窓枠を開けると外は一面銀世界だ。
ここはそれほど山奥でもない田舎の里山。1年の半分は薪ストーブを焚いていられる冬の長い田舎村である。
薪も豊富にある。森の再生を行う有志が間伐材を運んでくれるからだ。もちろん私もその仲間である。
伐採作業に出掛ける時はチェンソー以外に私だけの道具がある。ダッチオーヴンだ。
西部時代に鉄鍋を積んだ幌馬車「チャックワゴン」があるが、私の4駆もそう呼ばれている。
この田舎村には食材も豊富にある。
僅かな人口であるがそれぞれが自給自足で育てた食材を持ち寄り分かち合うのだ。
今朝の集会には里芋が山のようにあった。今日の献立は芋煮にしよう。
仕込みに時間が掛かりすぎてしまった。
急いで鉄鍋と食材を4駆に積みこむとしよう。
おっと、その前に薪ストーブに薪を目一杯いれておこう。
10月初めにマッチで火を起こし、それ以来絶やさず燃やし続けているのだ。
鉄鍋と食材を抱えて4駆に乗り込む。私の4駆にはiPad5がフロントパネルに組み込まれている。縦横自由自在のアタッチメント付きだ。田舎村に来てアナログ生活に徹底したいと敢えて電化製品を持ち込まなかったが、Macだけは手放せない。熱烈なアップルフリークなのだ。
森に到着すると仲間はすでに伐採を始めていた。それを横目に私はかまどを作り始める。雪上での焚き火ほど楽しいものはない。しばらくすると熾きがたっぷりできた。料理には最高の状態だ。
鉄鍋を熾きの上に置き、チェンソーを握りしめて仲間のもとに向かう。伐採に慣れていない私は玉切り専門だ。50ccのエンジン音が森にこだまする。
原木2本を伐り終えると、ちょうど正午を迎えた。芋煮も出来上がった頃だろう。
作業を終えた仲間が焚き火のまわりに吸い寄せられるように集まる。鉄鍋の蓋をずらすと湯気が盛大に立ち上がり、たまらないにおいが溢れ出る・・・
これは菊池仁志氏がカウボーイ時代に体験した話だ。
しかしカウボーイでなくてもアメリカでなくても、ダッチオーヴンならこんな田舎村でも同じ事が味わえる。
冷え切った身体が一瞬にして温まった。鍋には一滴の汁も残っていない。
私は休む間もなく珈琲の準備に取り掛かる。今日はグァテマラの生豆を用意した。それを手網に入れ焚き火で煎るのだ。
数分もすればパチパチとはぜる音がして珈琲の香りが漂う。煎りあがった豆はPEUGEOTのミルで挽く。切れ味の良い刃はガリガリと心地よい音を響かせる。焚き火で煎った珈琲は香ばしくて旨い。
午後の伐採は早めに終えた。田舎村の冬は日が短いのだ。
我が家に戻るとハースラグで居眠りしていたトイプーの「ピク」と「りんご」が飛びついてきた。彼女らを抱きかかえ真っ先に薪ストーブに向かう。我が家は土足だ。セルフビルドーの平屋にはデファイアントがド~ンと居座っている。炉内にはまだ熾きが赤々と残っていた。ダンパーを開き薪をくべる。エアーを全開にするとすぐにメラメラと音をたてて燃え上がった。ソレルのブーツを炉台に置き、濡れたグローブをミトンラックにぶら下げる。
しばらく薪ストーブで身体を温め、西側の扉から納屋に出る。今度は柴犬の「銀」が飛びついてきた。頭をなでながら焚き付けを掴む。そう、そこにはアンコールと一ヶ月分の薪がストックされている。納屋には西の空が見渡せる自慢の露天風呂もある。もちろん電気やガスではない。薪の風呂釜である。
黄金色の空を眺めながら湯に浸かるのが最高の贅沢だ。
夕食はストーブトップでコトコト煮込んだ父親譲りのリング・タム・ディディ。
1年の内でこのメニューが一番多いかもしれない。
夕食後は薪ストーブの前に寝転び、ただ炎を見つめているだけでいい・・・・・


2013年夏。
多少の違いはあるが、妄想は現実となった。
南信州・山暮らしへ